「2008年のリンダリンダだ」と某ブログで絶賛されたシングル「ビューティフル / 愛する or die」の衝撃から4ヶ月、毛皮のマリーズの3枚目のフル・アルバムの登場。「破壊と狂乱のガレージ・バンド」という従来の形容を大きく覆す問題作にして衝撃の全13曲。ロック黄金期の高揚感、時代を変革するエネルギー、そしてピュアかつ崇高なメッセージ性を毛皮のマリーズは2009年という時代に叩きつける。ある種哲学的な歌詞の世界観がぬるま湯に使った音楽シーンに楔を打つ!2009年が毛皮のマリーズの時代の始まりであることを告げる歴史的名盤。
フル・アルバムとしては07年12月リリースの「マイ・ネーム・イズ・ロマンス」以来の作品となりますが、08年5月にミニアルバム「Faust C.D.」、そして記憶に新しいNEWシングル「ビューティフル / 愛する or die」を08年12月にリリースする等、精力的なリリースを続ける毛皮のマリーズの待望のフル・アルバム。オリコン総合チャート初登場72位にランクされたシングル「ビューティフル」(今作には未収録)で剥き出しのメッセージを披露して"新生・毛皮のマリーズ"のイメージをリスナーに強烈に印象付けたマリーズですが、その予告(?)通り、凄まじい進化を遂げた毛皮のマリーズがこのアルバムで見事に表現されている。良い意味での過激さは保ちつつ、メロディアスな楽曲や、ビートルズへのオマージュ的な要素も随所に散りばめられ、繊細かつ大胆なアレンジメントで"皆が聴きやすい毛皮のマリーズ"というある種倒錯した現象を起こしている。それでいながら歌詞は鋭く、ピュアで、かつ哲学的でリスナーの胸元をエグるような凄まじさ、というある種ロックの理想のような構築を成している。
M-1「チャーチにて」の孤独な独白、M-2「人間不信」のエキセントリックなアジテーション、M-6「人生II」の青春の挫折と怒り、M-10「恋をこえろ」の過剰すぎる叫び、M-13「悪魔も憐れむ歌」のロックンロール決別宣言的な意味深なメッセージ、ロックが単なる大衆音楽を超えた、「何か」であることを確実に提示している。黄金期の洋楽ロックアーティストのように、アルバム毎に新たな音楽性と価値観を提示する毛皮のマリーズというバンドが日本に存在していることの意義が、このアルバムによって明らかになった。
かつてデビッドボウイの宣伝文句で「時代がボウイに追いついた」というキャッチコピーがあったが、文字通り「時代がマリーズに追いつく」日は近い。
毛皮のマリーズ
2006, 9/20
1stアルバム「戦争をしよう」をリリース。70’sパンク、グラムロック等を過剰にデフォルメしたサウンドと破壊と狂乱のライヴ・パフォーマンスでアンダーグラウンドシーンで一躍注目を浴び、全国各地に中毒患者を一気に増殖させる。
2007,12/5
2ndアルバム「マイ・ネーム・イズ・ロマンス」をリリース。おとぎ話のVo有馬氏、ソウルフラワーユニオンの奥野氏等がゲスト参加したこの作品は、アメリカの古き良き黄金時代をモチーフとしたコンセプトによる作品で、マリーズの音楽性の奥深さも表現された作品として1st以上の反響を呼び、リリース後行われた新宿レッドクロスでのワンマンLIVEは見事SOLD OUTとなる。2008年にはTHE BAWDIESとのスプリットTOURやミドリとの共演などで全国各地でSOLD OUTを連発する。収録曲「REBEL SONG」「犬ロック」「ガンマン、生きて帰れ」等は現在でもライヴの定番ソングとして圧倒的な盛り上がりをみせている。
2008, 5/14
前作から5ヶ月というスピードでミニアルバム「Faust C.D.」をリリース。2ndアルバムの煌びやかさとは相反するバイオレンス度500%の戦慄の怪作。ドイツの文豪ゲーテの戯曲「Faust」にインスパイアされたタイトルのように悪魔に魂を売り渡したかのごときサウンドは毛皮のマリーズの衝撃のライヴ・パフォーマンスの狂気を音源にも封じ込めた凄まじさ。レコ発ライヴは東京下北沢SHELTER、大阪、難波ロックライダーともにワンマンLIVE完全SOLD OUT。「AOMORI ROCK FES 08」「ロッケンローサミット(渋谷AX)」「MINAMI WHEEL 08」などにも出演し、観客の度肝を抜く。
2008,12/3
前作から7ヶ月、またも息をつく暇もなく3曲入り両A面シングル「ビューティフル / 愛する or die」をリリース。新生・毛皮のマリーズとして悪魔的なベールを破って剥き出しのメッセージを叩きつけたこのシングルはオリコン総合チャートでも初登場72位を記録。タワーレコードに限るなら邦楽チャートで16位も記録。
いよいよインディーズの枠を超えてきた勢いで12/11にはZEPP大阪であのニューヨークドールズと日米夢の共演を果たし、さらに12/31には大型ロックフェス「COUNTDOWN JAPAN 08/09」に出演。2009年1/17の下北沢SHELTERワンマンLIVEは即日SOLD OUT!大阪、名古屋ワンマンもSOLD OUTとなり、その勢いは暴走機関車のように加速し続けている。
3/25発売のSEX PISTOLSのトリビュート盤「P・T・A!~Pistols Tribute Anthem~」(曽我部恵一、te’、ガガガSP、JESSE(RIZE)、Dr Kyon&BRACK BOTTOM BRASS BAND featuring 甲本ヒロト等参加) にも参加。
「志磨遼平による全曲解説、その前に。」
この度、我々の3枚目となるフル・アルバムが完成致しました。
まずは曲目の解説の前に、アルバム制作に至るまでの経緯と当時の我々の活動状況についてカンタンにお話させて頂きたい。そこらへんに興味のない方、多忙な中この文書に目を通して下さっている関係者様各位は飛ばして頂いて結構であります。
このアルバムは怒りのアルバムであります。憎悪のアルバムであります。
輝く青春、無垢な未来をあきらめた、音楽に裏切られた人間の音楽に対する音楽の復讐であります。
我々はロックンロールさえあれば幸せでした。ロックンロールに全てを捧げてきました。困った事があればロックンロールさんが助けてくれると、そう聞いていました。
正義の味方、ロックンロール!
みんなのヒーロー、ロックンロール!
ロックンロールに敬礼を!ハイル・ロックンロール!
しかし、一昨年私が生まれて初めての挫折を味わった時、肝心のロックンロールは何の役にも立ちませんでした。「そんなバカな」と後ろを振り返った私の目に映ったのは、ただ立ち尽くす完全に沈黙したデッカイだけのロボットのようなモノでした。そしてそれこそ、今まで世界の仕組みの全てを知ったような顔をして、私に講釈を垂れてきたロックンロール、その真の姿でした。
私が想像しうる何よりも、世界はもっと無秩序でした野蛮でした不潔でした醜悪でした。
そしてロックンロールはそれにとてもピッタリくるBGMだったのです。
レ・ミゼラブル、私はただただ無力でした。
「ロックンロールに全てを捧げてきたよ。」と嘯く私は、世界に対し何の免疫も持たない温室育ちの甘ちゃんでした。バカでした。糞でした糞ガキでしたピーターパン・シンドロームの厨二病でしたでしたでしたとくり返すしか能の無い文盲め!もはや私は私が最も嫌う人間そのものでした。そしてこのパーチクリンな脳みそを“自殺”の二文字がよぎる日が来るなんて、まさか想像すらしていなかったコトでしたでした。
私はまさかギターなど持てず音楽も聴けず、周りの人間はメンバーですら信じられなくなっていました。まるで生きる屍の私は、ただただ毎日を安い喫茶店でやり過ごし、そのまま世間ではもう11ヶ月ほど過ぎていました。口から胸が飛び出るような焦燥感、つまりブルーズのようなモノ、はその11ヶ月の間に日に日に大きくなって、その頃にはもはや私を押し潰さんばかりでした。「どげんかせんといかん」とこの焦燥感/苛立ち/レ・ミゼラブルを紙にしたためても、それは私が感じている重量感にはこれっぽっちも足らず、「どん底」というのは思っていたよりも絵にならぬモノでした。
そしてこんな屍がほぼ一年悩みぬいて唯一見出した光、かつての生気を取り戻す唯一の方法、それは結局またロックンロールだったのであります(文字にすると軽薄だが本人からすればそれは吐き気をもよおすような発見でした)。
ロックンロールを暴くのはやはり、私がかつて“ロックンロール”と呼んだ精神なのでした。
私は怒りと憎悪を持ってスタジオに向かいました。実に8ヶ月ぶりのスタジオ作業でした。
そこで私は一気に“ビューティフル”、“愛する or die”、“宗教”の3曲を書き上げました。“宗教”などは書き上げたその日のうちの録音でした。(この3曲は先行シングルとして発売されています。)
まるで私の心体は憑き物が落ちたように軽く、もう一度音楽を産むコトが出来た安堵と喜びで打ち震えていました。
間髪あけず私は、残った全てを吐き出すためスタジオに篭ります。
腐った私にもう一度音楽への情熱を取り戻させたのは、かつて私に初めて音楽の素晴らしさを教えたザ・ビートルズの音楽でした。いや、正確にいえば「憧れのビートルズになりきる」ことが私のリハビリテーションのようなモノだったのだと思われます。
この頃の私の部屋はビートルズの研究本で溢れ返っていました。
『ラバーソウル』や『リボルバー』をわずか数週間で作り上げたビートルズよろしく、このアルバムの曲は全て1ヶ月内に作られています。もちろん詞・曲からアレンジ、録音に至るまで全てです。一年分溜まった膿のような憎悪のみで、私は昼夜問わず作曲と録音に没頭しました。疲れやストレスすら「これこそ多忙だった頃のビートルズと同じ気分だ」と思い心地よいものでした。機材やアレンジ、録音法からレコーディング期間中のお洒落に至るまで、このアルバムはビートルズや60年代音楽の手法・精神を踏襲しています。もちろんヒゲは伸ばしています。
ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉さん(key)の協力で、今回我々は4人の力以上に際限なく自由に作曲できたコトも特色の一つであります。ジェフ・エメリックばりの斬新且つ的確なミックスは1stからずっと我々のエンジニアを務めて頂いている奇才・DEWマキノさんです。このお二方の助力無くして今回のアルバムの完成はありませんでした。
この場を借りて最大級の感謝と敬意を。
かくして出来上がった我々のサード・アルバムは、『Gloomy』と名付けました。
「暗い、陰気な、ふさいだ、元気のない」という、私の1年を見事に言い表した英単語を冠した13の楽曲をどうぞお聴き下さい。
どうか我々の未来がこれ以上の落胆と挫折無く、幸多からんことを。
毛皮のマリーズ 志磨遼平